キム・ヒョンジュンとウリアドゥリ=私たちの息子!そして時々いろいろ

ソロ活動してるリダも応援しています あとは好奇心の赴くままに走ります

「はみだしっ子」って漫画をご存じだろうか?

最近やたらとこのはみだしっ子ってフレーズが頭の中グルグル回って
口について出てくるんだけどなんでだろうと思っていたら
はて!このせいかと気が付いた

防弾少年団のアルバム「WINGS」のせいだ
あの数々の写真のせいだ
決定的になったのがテヒョン君 芸名V
彼の写真のせいだ
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これね
あ~~どこかで同じようなものを見たな~って
で。はみだしっ子  三原順作のアンジーだ!!ってね
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少年4人の話なんだけどね。簡単に言うと
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こんな感じのイメージなんだよね

原画を見てきたけど
どうだろう?伝わるかしら?

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なんかぴったりくるのがなかったのだけど
「WINGS」のメッセージってこんなこと考えてない?

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こんなことも言いそうだし

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このセリフはジミン君の考え方みたいだし こじつけ?

この「はみだしっこ」って言葉が好きなのかもね
なんか惹かれるのよね~~
この言い方 
時々自分もそうなのかもっておもうこともあり
長いことこんなこと思うなんてとんとなかったけど
最近ね 父と二人で生活していてるとね
人生何番目かの思春期ですから~~私

画像はすべてお借りしました ありがとうございます




「はみだしっこ」大雑把なすじ
思春期前の4人の少年が主人公である。
それぞれの複雑な事情で、親に見捨てられたり、親を見限ったりして家出し、
共同生活を送ることとなった彼らの心の彷徨と成長が描かれている。

大枠のあらまし

全体はいくつかの部分に分けられる。

Part.1からPart.9までは親を見捨てた・親から見捨てられた4人が出会い、
喧嘩をしながらもお互いに信頼関係を築いていく過程が描かれている。
グレアム・アンジーをリーダーとしたグループとして、
「親という名を持った人間じゃなくホントに愛してくれる人」を求めて、
社会からの“はみだしっ子”の立場を選択し、
子供でありながら大人たちを小気味よくあしらいながら放浪する。

Part.10で4人が雪山にて遭難し、
むき出しの人間のエゴイズムと憎悪に直面して4人がそれぞれ傷つき、バラバラになる。
Part.11,12では、マックスとサーニンが失踪した先で社会との関わりをそれぞれ獲得し、
“はみだしっ子”グループに頼らない自我を確立する。

Part.13以降再び4人で放浪生活を送るが、グレアムとアンジーは雪山での事件
(Part.10)を隠し通すことに悩む。グレアムが父と死別する(Part.14)と、
グレアムの伯父の勧めに従い4人はでクレーマー家に養子に入る(Part.17)。

生きる上で選択の連続であった放浪生活時代と異なり定住することに慣れない4人だが
、同時に異なる環境であっても調和を選択できる強さを備えていた。周
囲の安心と信頼によりサークルの一員となっていくが、
マックスとリッチーの抗争に巻き込まれてグレアムが負傷、
リッチーを告訴した裁判が始まる。
リッチーは故意ではなく事故であり罪はなかったとするフランクファーター弁護士の声により
グレアムは雪山での事件を隠しながら罪を得ようとしている己を自覚する。

結審(関係者のリッチーの項を参照)し、
アンジー、サーニン、マックスがそれぞれクレーマー家の息子の座に収まったことを
確認したグレアムは雪山で起きた事件を清算しようと画策した。
しかし、相手の拒否にあい失敗(関係者のフェル・ブラウンの項を参照)。
自殺を図るもそれも失敗すると、心を閉じた。
雪山事件に関わったアルフィーが死んだことでしがらみがなくなり、
グレアムがジャックに事件のことを明かしたところで物語が終わっている。




私、Part.10までしか記憶にありません ということはあとは読んでないのかも~
いけない これは失態!
読まないと 未完のままだから心に残っているのかも
「はみだしっこ」

これは私の思い込みと偏見なので、許してくださいね
かれらの「WINGS」ってアルバムのベースはヘルマンヘッセの「デミアン」でしたね
そこでYahoo!知恵袋にいい記事があったのでお借りしました




「 話は、ジンクレールの幼年時代の回想から始まり、
善と悪とは何なのだろうかという作者の子ども時代の疑問が出てきます。

学校に入学したジンクレールの前に、不思議な同級生デーミアンが現れ、
ジンクレールを別の同級生の暴力から守ってくれたり、
「意志の力」で人間は他者を動かすことができるというような話や、
キリスト教では認めていない、「カイン」に関する秘教的・異端的な考えを紹介します。

ジンクレールは、キリスト教社会での常識的な考え方に疑問が起こり、
ここに子ども時代からあった疑問に加えて、様々な宗教的問題や社会的問題、
世界の存在意味や、人間の生きる意味などについての疑問や葛藤が起こります。

デーミアンとはいったん別れるのですが、後に、彼はデーミアンに再会します。
デーミアンは、世界は大戦争を迎えようとしている、
文明が大きな変化を迎えようとしているというような話をし、
実際に、第一次世界大戦が起こるわけです。

デーミアンの母を紹介されたジンクレールは、不思議な感動というか体験を持ちます。

世界が変化しつつある、自分自身も変化しつつある。
世界や自分はどこに行こうとしているのか?
ジンクレールは戦争に従軍し、負傷します。
負傷兵として、野戦病院で横たわっていると、そこにデーミアンが現れ、メッセージを語ります。
しかし、翌日になると、デーミアンはすでにいない。
ここから、未来はどこに進んで行くのか。
ジンクレールは自問し、小説はここで終わりとなります。」

追記もありました


「……ヘッセの『デーミアン』は、これで一つの完成した作品です
。これはジンクレールという人物の少年時代から青年となりや
がて成人するまでの「心の記録」を独特な視点から解析していると言える。
「善の世界と悪の世界」「自己と他者」「男性と女性」「西洋と東洋」「創造と破壊」。
これらは二元論的な原理で、両立あるいは両在しない。
少なくとも「この世」では、これらの対立原理の両立はありえない。

(中略)

ジンクレールは、善と悪を知り、光と闇、秩序と混沌、創造と破壊を知る。
自己と他者が、一体であって、しかし永遠の別離であると知る。
こうしてジンクレールは「孤独な自己を探求する人間として」成人する。
そうして生きることは、こころの痛みである。
善と悪、光と闇の両方を経験した者は、
デーミアンがそうであったように、この世の異邦人となる。生
きると言うことはこころの痛みに耐えて行くと言うことである。
こうしてジンクレールは、自分の人生を歩み始める。
ここで小説は終わりになります。……」

miranda_sophiaasさんの解答をお借りしました

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1364217663
こちらにも詳しく載っているようです


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